派遣スタッフ入門

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派遣スタッフ入門

人材派遣の歴史について

日本において、人材派遣というものはいつ頃から始まったのでしょうか。派遣の歴史は意外と知られておりませんが、実は、日本での歴史は未だ浅いものなのです。
昭和42年3月に東京の羽田空港に一人のアメリカ人が日本にやって来ました。そのアメリカ人は、アメリカの派遣会社のアジア・オセアニア地域の総支配人でした。総支配人の鞄の中にはアメリカの派遣会社が日本に進出するための必要な大事な書類が入っていました。
彼は来日直後に以前知り合った会ったアメリカ人の言葉を思い出しました。
『日本で、臨時業務処理業又はテンポラリー・ワーク・サービスを始めるなんて、どうかしている!
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』と言われた言葉を。
支配人自身も、労働力を商品として考えないアジアの雇用形態の中で、労働に対する考え方も違う日本で人材派遣業が成功にするのか、自信があるわけではありませんでした。そんな不安を抑えきれずにいたのです。
しかし、社長は考えを改めて親会社である、アメリカの派遣会社が日本での人材派遣業進出で成功の鍵となるのは、やる気しかないのだと思いようになったのです。
日本進出をする以前に、すでに世界350以上の都市に会社を進出しており、数多くの派遣の拠点を持っているこのアメリカの派遣会社にとって、日本は32番目に進出しようとしている国でした。日本はまだアジア最大の人材派遣業はなく、未開拓の国でだったのです。
未開拓の国への進出なので成功しないわけはないのです。
この社長の来日が日本の人材派遣業の始めの一歩となりました。アメリカに派遣会社が出来たのが1948年。アメリカの派遣会社が出来て19年後の事でした。
それは、日本に『人材派遣法』が実施される19年前の事でした。
その日本での派遣業の第一歩を踏み出したアメリカの派遣会社も初めから『人材派遣会社』として事業を始めたわけではありませんでした。
アメリカでは、人材派遣のことを『臨時業務処理業又の名をテンポラリー・ワーク・サービス』と呼んでしました、意味は「仮の」とか「臨時の」と言う意味です。臨時業務処理業又の名前はテンポラリー・ワーク・サービスは能力や技能を持った人を必要な時に供給しよう。”ということを目的としていました。
しかし、日本には職業安定法第44条があったのです。これは企業が他の企業に人材を供給することを禁止するというものでした。その為、人材派遣業という名前で会社を始めることが出来きなかったのです。人材派遣が法実行されるまでの約20年間はどこの人材派遣会社も「事務処理請負サービス事業」という名前で派遣の事業を広げて行く事になります。
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現在の日本人材派遣協会の始めの呼び名は、日本処理サービス協会という名前で事業は設立されていました。
当時の日本の経済や社会の状況では、日本に派遣を広めた米の派遣会社の企業戦略にはとても理にかなっていたのです。昭和42年と言えば、戦後という経済の状況から12年、池田内閣所得倍増計画が始まってから7年。1958年の6月〜1961年の12月まで42ヶ月間続いた高度経済成長時代の好景気『岩戸景気』、1962年10月から1964年10月迄の東京オリンピックの建設投資ブームと好調な輸出によってもたらされた好景気である『オリンピック景気』、その後に1964年後半から1965年に掛けておきた不況「40年不況」を乗り越えて、日本は10%前後の高度成長に乗り始めた時期でした。その当時は人材の需要も多かったのです。
1967年の【資本の自由化】によって、外資の日本への進出が始まりました。
米の派遣会社の社長がまず目をつけものが、東京へ続々進出してきた外資企業でした。外資企業は米の本社では、すでに派遣社員を利用する雇用形態が当たり前になっており、臨時業務処理業又の名をテンポラリー・ワーク・サービスとは何かをもう一度説明する必要がありませんでした。 米の派遣会社の社長の作戦は、外資会社を手がかりに、日本の企業にも事業を拡大していこうというとするものでした。
また、日本企業も国際的な競争力をつけ、様々な企業などで、英語などによる輸出入書類作成やその処理と言った業務が増加し、今いる社員の戦力だけでは対応しきれなくなって来ました。その為、現在いる社員の戦力だけでは対応できなくなってきたので、人材派遣事業に対する必要性が出てきたのです。
その後、米の派遣会社を追いかけるように、日本の人材派遣会社も設立して続々と開業していく事になりました。
日本初の人材派遣会社を始める事となった社長は、それまでの仕事はヨーロッパで広告駐在員をしていました。その時、営業先の商社の貿易部や国際部の人たちが『なにも米の派遣会社社のような外国企業だけに人材派遣業をやらせておくのはもったいない』と言っているのを耳にしました。社長が30歳代後半の時でした。その人は米の派遣会社の横浜支店に入り、そこで様々な仕事を吸収し会社退職しました。そして日本で初めての人材派遣の日本企業が誕生したのです。
また、昭和48年に人材派遣を始めた人は、オーストラリアでの会社勤めを辞めて帰国したばかりでした。”新しい会社に勤めるといっても、使ってくれるところもなさそうだ”と思い、何をしようかと思ったところ、、オーストラリアで知った人材派遣事業の事を何故か思い出したのだといいます。。
大阪で派遣会社を起こした社長は、大学卒業時に就職試験に失敗し、まだ学生のうちに自分の会社作り会社を設立しました。 全くの偶然が重なって人材派遣会社の考えから思い付いたからだそうです。 会社の人事の担当者が「忙しいからと言って、その度正社員を増やしていたら会社は倒産してしまう!」というのを聞き、「その能力と技術をもった人材を必要な時に供給してくれる、人材がいれば会社は助かる!」と考え、派遣会社は開業したのです。すでに東京では同じような会社が創業していました。それから3年遅れて、大阪で開業したのです。
このように、日本の人材派遣は海外から入ってきたものでした。日本の企業にしても、海外でヒントを得て創業された会社が多かったのです。
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